ヒグチユウコ × キナリト──『デザインのひきだし47号』表紙ができるまで
Date 2025.12.02
私たちは、サステナブルな不織布「キナリト」を開発しているチームです。
『デザインのひきだし』表紙のお話は、王子ホールディングスの広報IR部経由で届きました。
同誌とは、以前より王子グループの本文用紙や表紙素材などをご採用いただいてきました。
広報IR部室を通じて津田編集長にキナリトをご覧いただいたことをきっかけに、今回の検討が動き出しました。
「キナリト」を雑誌の表紙に!?―― その発想は想定外でした。
「キナリト」は、熱プレス成形の容器や内箱、パッケージ用途を想定して開発した不織布素材です。
パッケージや日用品としての用途は考えていましたが、素材そのもので「表現」することはイメージしていませんでした。
熱プレス成形したキナリトを装丁に、しかもデザイナーの愛読書『デザインのひきだし』の表紙に――。
ワクワクしながらも、不安な気持ちがむくむくと湧き上がります。
ラフをもとに立体成形の高さ配分を決め、細部の出方を一つずつ検証。
本当にこの形が再現できるのか。短期間で成形してくれる会社が見つかるか。
不安に押しつぶされそうになりながらも、楽しみな気持ちが勝り、胸を高鳴らせて制作に取り組みました。
『デザインのひきだし』津田編集長の表紙にかける熱い思いと、加工先の知見が集まり、現場の熱量が一気に高まります。
細部にわたる調整や光の当て方、手触りの確認など、現場での工夫が重ねられました。
こうした取り組みの積み重ねが、ヒグチユウコさんの世界観を浮かび上がらせる原動力となったと感じています。
津田さんの真摯な姿勢と、それに触発された現場の創意工夫が、プロジェクトを動かす原動力となりました。
この記事では、発端から悩みと突破口までを、担当者の視点で振り返ります。
不織布「キナリト」とデザインの出会いが生んだ新しい表現、その舞台裏をお伝えします。
この記事の構成
- 表紙に込められた驚きとキナリトの不織布としての魅力
- ヒグチユウコさんのアートと不織布立体成形の融合
- パッケージ・包装分野での新しい表現とキナリトの役割
- 編集長・津田淳子さんの“実物主義”と“現場主義”
- 不織布立体成形の開発現場──テストと突破口の記録
- まとめ──不織布とデザインの未来、キナリトの可能性
1. 表紙に込められた驚きとキナリトの不織布としての魅力
キナリトは、植物由来のセルロースを主原料に、ポリ乳酸などの生分解性樹脂を混ぜ合わせた環境配慮型の新素材です。
独自のTDS製法により、繭のような柔らかな手触りと温かみのある風合い、さらに立体成形加工ができる特徴を持っています。
最初の試作で型を開いた瞬間、現場に新たな空気が流れました。
厚手のパルプ不織布「キナリト」に沿って線が立ち上がり、面が呼吸するようにふくらみます。
ヒグチユウコさんが描くキャラクター「ひとつめちゃん」が、立体成形によってぽこっと姿を現しました。
「無事に成形できて良かった。」と、ほっとしながらサンプルを手に取ります
この最初の試作品をもとに、津田編集長や型設計・試作を担当するワークキャム野崎社長と意見を交わしました。
「この部分、高さをもう少し出したいですね」「足をはっきり見せたいのです」
「もっと自然な柔らかさを表現できないでしょうか」「目の光を出せますか?」
表現するということに焦点を当てて、素材の限界を探る。今までに経験したことのないものづくりです。
しかし、初回の試作ではヒグチさんの世界観を十分に表現できませんでした。
そのため、その場で型の設計を見直し、再度試作に挑戦することが決まります。
型を修正して臨んだ再試作では、立体成形による臨場感たっぷりの「ひとつめちゃん」が、今度はしっかりと浮かび上がりました。
斜めから光を当てると、凹凸が生む陰影がぐっと深まる。
『一番お金をかけているのが表紙です!』と津田さんが断言するほど、同誌の表紙づくりには強いこだわりが込められています。
素材のポテンシャルを最大限生かすことを目指し、真剣勝負で挑む津田さんとのやりとり。
そのキャッチボールを通じて、私達が気づかなかったキナリトの不織布としての魅力が引き出されていきます。
この試作では、ヒグチさんから「パルテノン神殿のレリーフのようですね」とゴーサインをいただき、とても嬉しかったのを覚えています。

2. ヒグチユウコさんのアートと不織布立体成形の融合
表紙を正面から見ると、白い面の中にイラストの「線」と「面」が静かに佇んでいます。
角度を少し変えると、「キナリト」に与えた立体成形の凹凸が光を拾い、輪郭がふわっと起き上がる。
印刷の濃淡ではなく、立体の陰影で世界観を描き出す――
これは、数ある不織布の中でもキナリトだからこそ実現できた表現だと感じました。
細かな模様が多い作風ほど“どの部分が線で、どの部分が面か”が効いてきます。
盛り上がりが強いところはハイライトが細く走り、緩やかなふくらみは面として柔らかく受け止める。
触れると、エッジでは指がコツッと止まり、面ではすっと滑る。
視覚と触覚が同じ方向を向いている心地よさがありました。
白一色でも、斜光で陰=黒が増え、正面では白=余白が主役になる。
見る環境(光源・距離・向き)で表情が切り替わるので、つい本を回しながら眺めてしまいます。
この「光で読ませる」楽しさは、立体成形とキナリトの組み合わせだからこそ生まれる体験。
実際に手に取ってこそ分かる、新しいパッケージ表現の可能性を感じました。
3. 包装・パッケージ分野での新しい表現とキナリトの役割
『デザインのひきだし47号』の特集は「商品を入れる・包む=パッケージ&包材」。
“包む”世界では、見た目(デザイン)、触り心地(手ざわり)、形(成形)が同時に問われます。
今回の表紙は、その三つが一つの素材の上で交わった事例でした。
印刷に頼らず、立体と陰影だけでイメージが浮かび上がる。
マットでやわらかな面が、光沢とは違う穏やかさを生み出します。
金型による立体成形は、紙では難しい起伏を受け止めやすい。
キナリトの不織布素材は、成形・抜き・箔・印刷・縫製など、さまざまな加工工程との組み合わせがしやすいのも特徴です。

包装・パッケージの現場で素材を選ぶとき、「何で表現するか」と「どう作るか」は切り離せません。
今回の表紙は「形×質感」に舵を切った例であり、素材そのものを活かしたデザインの可能性を改めて実感しました。
津田編集長は、読者が表紙一枚の中で多様な表現を確認できるよう、エンボスだけでなくデボスの部分を設けたり、
どこまで細い線が出せるか挑戦したりと、細部までこだわりを持って取り組まれました。
その姿勢が、現場の工夫や挑戦を後押ししていたと感じています。
4. 編集長・津田淳子さんの“実物主義”と“現場主義”
『デザインのひきだし』の大きな魅力は、雑誌そのものをサンプル化する“実物主義”にあります。
表紙の立体成形、本文の解説、付録の実物――読む・触る・確かめるをワンセットにし、
読者が実際に素材や加工を体験できる構成です。
今回のキナリトの表紙も、誌面のメイキングページで制作の裏側まで追えるようになっており、
「どこに頼めば作れる?」という実践的なヒントまで届く。
素材名や加工方法を明示し、現物で納得できる導線をつくる姿勢に、編集部のこだわりが感じられます。
さらに、編集長・津田淳子さんの“現場主義”も印象的です。
津田さんは誌面やSNSにとどまらず、シート製作や成形の現場にも足を運び、
素材が生まれる瞬間を楽しそうに見つめ、熱心にメモを取っていました。
テレビ番組『マツコの知らない世界』の「紙の世界」でも、紙や素材の魅力を“実物”を通して伝えてきた津田さん。
現場を大切にする姿勢と、実物を通じて伝える編集方針は、今回の表紙づくりにも一貫して表れています。
5. 開発現場の舞台裏──不織布の立体成形テストと突破口の記録
はじまりの合図
王子ホールディングスの広報IR部経由で「表紙にキナリトを使えないか?」という打診があったのは、
2022年7月7日のことでした。
実は1度目にお話しをいただいた際は、納期の都合で泣く泣くお断りした経緯があります。
次の号で改めてご依頼をいただいたときは、「絶対に良いものを作るぞ!」という覚悟でお返事をしました。
「キナリト」独自の素材感と“ぼこっと出っ張る”立体成形の表現が、書籍の表紙という舞台でどこまで生きるか。
「本当にできるのか?」という不安と、「やってみたい」という期待が入り混じる中、検討がスタートしました。
3Dデータと試作──ワークキャムの仕事
津田編集長からヒグチユウコさんが描く繊細で精密なイラストデータをいただいた日、社内に衝撃が走りました。
これをどうやって三次元に立ち上げれば良いのか。満足していただけるものが作れるのか。
まずは、輪郭を描く線画を作成していただき、そこから型設計を依頼したワークキャムで3Dデータの作成が始まりました。
試作に至るまでに、どの線をどれだけ持ち上げるか、どの面で受け止めるか、細部の再現性を何度も相談。
10回以上のデータ修正を重ね、3Dの図面を作成していただきました。
私たちの細かな要望に耳を傾け、モデリングしてくれたワークキャムの野崎社長、担当の関口さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
2度目の試作でインパクトある「ひとつめちゃん」が姿を現したとき、現場には安堵と次への期待が生まれました。
いざ!本番の成形へ──ニッポー株式会社
本番の成形はニッポー株式会社が担当してくださいました。
実は、試作と並行して本番の成形を担当する会社探しを続けていたのです。
これだけ複雑な形状を再現するには充分なプレス力が必要です。
設備を保有していても、新しい素材の成形に手を挙げてくれる会社はなかなか見つかりませんでした。
ニッポーで成形を担当してくれた南雲さんは、いたずらっ子のような目をしながら、この挑戦を面白がって引き受けてくださいました。
ロールから繰り出したキナリトを成形機で温め、雌雄の金型でプレス。
ひとつめちゃんのラインがぼこっと起き上がります。
試作と実際の機械は設備が大きく異なるため、そのままうまく生産できるとは限りません。
仕上がりを入念にチェックし、南雲さんと成形条件を相談しながら温度や圧力の最適な条件を探りました。
次々と連なって装置から出てくるひとつめちゃんを、その場にいた全員が真剣なまなざしで見守っていました。
成形後はトリミング機でシートカット、別フロアの型抜き機で一冊分に抜き、検品を経て完成です。

結果と手応え
印刷に頼らず、立体の陰影で世界観が浮かび上がる表紙に仕上がりました。
現場では、イラストの細部がしっかりと浮かび上がり、思い描いていた立体感が実現できたことに手応えを感じました。
津田さんからは、プレテストの時からは想像できない仕上がりでテンションが上がりまくりです、とのコメントもいただきました。
このプロジェクトを通じ、「素材そのものが“見せる”役回りを担うことがある」と気づかされました。
現場で積み重ねた知見や判断、そして「たくさんの人の知恵を寄せ合って一つのものを全力で作る」という経験は、次のものづくりにも活きると感じています。
6.まとめ──不織布とデザインの未来、キナリトの可能性
『デザインのひきだし47号』は全国の書店・オンラインで販売され、12,000部が早々に完売となる人気ぶりでした。
今回の表紙づくりを通して、素材の持つ可能性や現場の工夫が、デザインの新しい表現につながることを実感しました。
キナリトの立体成形によって、イラストの細部や質感がしっかりと浮かび上がり、紙やプラスチックとは違う独自の世界観を
形にできたことは、開発担当としても大きな収穫です。
『デザインのひきだし』に採用された素材として認知され、デザインやパッケージに関わる方々から多くのお問い合わせをいただいたのです。
製造現場でシートの生産に携わった仲間たちが、「すげぇ!」とつぶやきながら、誇らしげに完成した雑誌を手に取る姿が印象的でした。
私たちは、まだまだ新しいものづくりにチャレンジしていける――そんな可能性を感じた瞬間でもありました。
これからも、「ものづくり」を通して得た気づきや挑戦を、みなさんにお届けできればと感じています。
志、開発にあり。
これから王子キノクロスが生み出していく未来を楽しみにしていてくださいね。
津田 淳子(つだ じゅんこ)
グラフィック社代表取締役社長、『デザインのひきだし』編集長。印刷・加工・紙の世界に精通し、独自の視点で「ものづくりの楽しさ」を発信。テレビ番組『マツコの知らない世界』にも出演し、紙の魅力を広く伝える。
デザインのひきだし
印刷・加工・紙・素材に関する専門情報を深く掘り下げるデザイン業界向け雑誌。毎号、独創的な表紙と充実した特集で、デザイナーやクリエイターから高い支持を得る。
公式サイト → https://www.graphicsha.co.jp/hikidashi/
ヒグチユウコ
画家・絵本作家。緻密で幻想的な世界観を描く作品で知られ、絵本や画集、ブランドとのコラボレーションなど幅広く活躍。
公式サイト → https://higuchiyuko.com
キナリトについて 詳細はこちらから(特設サイト)

当社開発担当 宮崎技師と「 デザインのひきだし 」 津田編集長